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ジビエという名の魔法

アフリカを旅行中、インパラのステーキを食べました。とても美味しいお肉でした。 写真はインパラの群れ。ボツワナにて。(2010年3月)

町中で普通に生活するイボイノシシファミリー。実は美味しいのではないかと思う今日この頃。 ジンバブエにて。(2010年3月)
旅の記録はこちら → なかっぴー通信NEO ボツワナ & ジンバブエ
今年の夏から、近くの獣肉解体施設でお手伝いを始めました。(ジビエ工房というちょっとお洒落な名称が付いています。)
私たちがアルバイトをしている農家のキタサンは半農半猟師時々ミツバチという人で、「解体を手伝って欲しい」と頼まれたのです。夫だけかな、と思っていたら、どうやら私も一緒に、ということでした。
どうしようかな、と悩みました。駆除された動物を見るのは辛いし、私に出来るか不安だったからです。
我が家では肉をほとんど食べなくなったとはいえ、時々は食べたくなって買ってくることもあるし、魚だって食べます。滅多にないけど外食するときは肉だって魚介類だって食べます。キタサンから猪肉や鹿肉をもらえば大喜びで食べています。
それなのに、この仕事を断るのは卑怯だなと思いました。私たちの知らないところで知らない誰かがやってくれている仕事です。ジビエ工房でお手伝いをすることにしました。
村内でわなにかかった鹿は、猟師さんがその場で止めをさし血抜きをしてからジビエ工房へ運んできます。そこで泥や汚れを洗い流し、おなかを割って内臓が出されます。これもほとんど猟師さんがやります。
駆除された鹿の受け入れを初めてやったとき、猟師さんが「これ美味しいから食べてみるといいよ」と言って、鹿の心臓と肝臓を袋に入れて渡してくれました。処理の仕方を聞き、家に帰って鹿の心臓を手にしたときにどきっとしました。まだ、鹿のぬくもりが残っていたんです。ほんのりと温かい心臓から、ほんの1時間前まで生きていたのだと伝わってきました。衝撃でした。
私はそのとき初めて、「命をいただく」という言葉の意味を体で理解できました。今までも「命をいただく」とか「山の恵みに感謝」といった言葉を使っていましたが、なんだかそれは上辺だけだったような気がします。本当は、もっと重くて崇高なものだったんですね。それを知ることができて、解体の仕事を引き受けてよかったと思いました。
これまでは獣肉というと、「硬い」「くさい」「まずい」といった印象を持っている人が多くて敬遠されていたと思うのですが、数年前から「ジビエ」という言葉が広まり、フランスをはじめとしたヨーロッパでは普通に食べられている肉だと認知され、随分とイメージが変わったなぁ、と思います。獣肉はちょっと無理と思っていた人も、ジビエならちょっと食べてみようかなという気持ちにさせるような魔法の言葉です。
「ジビエ」と言われたとたん、都会の有閑マダムたちが「今日のランチはジビエでもいかが?」と言って、フレンチのお店で美しく調理された獣肉に舌鼓を打っている想像が膨らんでしまいます。単純?
もちろんそれもいいのですが、でもちょっと違うような気がしています。
年に1、2度、レストランなどで食べる特別な「ジビエ」ではなく、地元の人がスーパーや直売所で手軽に買えて、今夜は猪の焼き肉にしようとか、鹿のシチューにしようとか、普通に食べられる肉になったらいいですよね。
まずは地産地消。数十年前まで、それは普通のことだったわけですから。
害獣とか害虫とか、人間の都合で決められてしまったわけですが、害獣として駆除された鹿や猪が、地域の人たちに美味しく消費されて益獣となるように、山の恵みをみんなで感謝していただけるようにお手伝いをしていきたいと思います。


解体前の鹿と猪。村内のわなにかかったものです。合掌。
解体についてはこちら → なかっぴー通信NEO 鹿の解体 & 【閲覧注意】猪の解体
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おー
作るので、きっとおいしい鹿肉ができるでしょう。
期待、期待。
おにしさん、解体に付き合ったんですね。
おぉ、、勇気がいりますね。
あたしは、魚を解体、、というか内蔵を出して
という処理で「あぁ、、ごめんね、ごめんね、命もらうねー」という気持ちになりました。切り身じゃこんな気持ちないですよね。こうゆう工程を飛ばしてると、やっぱり
自然に感謝の気持ちがなくなるんですよね、、、
半農半漁ときどき蜜蜂って、、、いいなぁ、、
理想ですね。