FC2ブログ

小さな菜園のある暮らし

夫婦で南信州に移住。山登ったり、自転車乗ったり、野菜作ったりしています。

Entries

中川村歴史散歩 理兵衛堤防(りへえていぼう)

IMGP0876_サイズ変更
天の中川橋から見る理兵衛堤防。左から流れ込んできているのが前沢川。 (2015年12月)


天竜川は諏訪湖を源流として太平洋へ注ぐ213kmの河川です。
伊那谷では天竜川が南北に流れ、東は南アルプス、西は中央アルプスが南北に連なっているので、東西南北がとても分かりやすくなっています。諏訪湖から流れた天竜川は南へ流れ、東西の山々からの水を集め、長野から愛知、静岡へとつながっていきます。

その昔は「暴れ天竜」と呼ばれ氾濫することも多かった川ですが、現在は堰やダムが作られていて氾濫することは滅多にありません。近いところで大きな被害があったのは、三六(さぶろく)災害と呼ばれている昭和36年6月の台風6号によるもの、昭和58年の台風10号によるもの、そして平成18年7月の豪雨によるものがあります。

暴れ天竜の氾濫に困った流域の人々は昔から治水工事をしており、中川村では理兵衛堤防と呼ばれる跡を見ることができます。
理兵衛堤防は、中川村片桐の天竜川と前沢川の合流点にあります。ここはかつて、洪水の常襲地帯だったそうです。
当時、この地の明主だった松村理兵衛忠欣(ただよし)が、私費を投じて堤防工事に着手しました。江戸時代の寛延3年(1750年)に始まった工事は、その子孫の常邑、忠良の三代に亘って文化5年(1808年)までかかったとのこと。工事中も度々洪水に見舞われ、作りかけの堤防が流されてしまったといいます。

明治以後の度重なる洪水により埋没していたものが、昭和58年の災害のときに、その一部が現れました。当時の石積みの堤防に沿って、灌漑用水路も確認されました。

天の中川橋の上からはその堤防を見ることができます。西側にある公園には堤防が復元されています。巨石でできているこの堤防は、尾張から呼んだ石工の手によるとのこと。

現在、天竜川流域で江戸時代の大規模な石積み堤防が見られるのは、この「理兵衛堤防」だけだそうです。
度重なる洪水により埋没していたとはいえ、江戸時代の堤防が残っていることに驚きました。
これまで何気なくこの堤防を見ていましたが、実は貴重なものだったんですね。水害に苦しんだ人々の苦労と努力が感じられます。

灌漑用水路の木樋の一部は、中川村歴史民俗資料館で見ることができます。中川村歴史民俗資料館は、小さいけれど充実した内容で、なかなか面白い資料館ですよ。昔の農機具など、これ欲しい!と思ってしまうものがたくさんあります(笑) 中川村歴史民俗資料館は12月から2月の間は冬季閉鎖中です。通常でも火・木・日曜日のみ開館ですのでお気をつけください。


IMGP0884_サイズ変更 IMGP0883_サイズ変更
橋の近くの公園に復元されている石積み。

IMGP0877_サイズ変更 IMGP0879_サイズ変更
(左)橋より上流側の堤防。 (右)下流側。川原に降りれば間近に見ることもできます。

IMGP0425_サイズ変更
歴史民俗資料館の敷地内に復元されている弥生時代の住居跡。


にほんブログ村に参加しています。
ブログランキング・にほんブログ村へ


関連記事
スポンサーサイト



  • [No Tag]

*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。